CIO Lounge Magazine_2025summer
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名古屋でのデビュー、社会の壁と独立への道ピンチの時こそチャンスがある!取材を通じて身に付けた経済、経営の面白さ!それから、就職浪人生活を始めて、毎日、マスコミ関係の就職試験問題集に取り組みました。アナウンスの専門学校へも通い出して、発声や発音、原稿の読み方といった技術も学び、就職戦線に備えました。しかし、その年の全国の放送局の募集が、女性のアナウンサーは新卒者だけが対象だったのです。そこでもハードルがあったのですね。矢島 福島氏 るところが全くなかったのです。それから、11月ぐらいに入って、唯一、年齢制限だけの募集があったのです。それが名古屋に本社があるTBS系列のCBC(中部日本放送、以下CBC)で、25歳未満なら誰でも受けられるという条件でした。もうここしかないという必死の思いで名古屋に試験を受けに行きました。そこでなんとか合格をいただき、やっとメディアの世界に入ることができた、そういう状況だったのです。矢島 独立されるまでどのくらいの期間がありましたか?福島氏 短いですよね。ご自身で、また新たなチャレンジしよう矢島 っていうのがすごいなと思います。中途採用というのが全然なくて、試験を受けられ就職されて新人アナウンサーとして動き出された後、3年ですね。福島氏 実は、新たなチャレンジというと非常に前向きな感じなのですけど、決して独立したくてしたわけでは全然なかったのです。CBCでは、毎日本当にいろんな仕事をやらせていただいて、やりがいのある充実した毎日だったのですが、当時、CBCに限らず、女性アナウンサーに対しては、なかなかキャリアを評価してもらえなくて、女性は若い時だけ番組に花を添えてくれればいいみたいな、そういう時代だったのです。女性と男性とアナウンス職で入った人は、同じ試験を受けて入っているのですけれども、男性は終身雇用で、女性のアナウンサーだけは1年ずつの契約制だったのです。会社は必要な人数が決まっていて、どんどん新しい人を採用していくのです。例えば女性の新しいアナウンサーが3人入ると、必ず誰か3人は契約を終了されるというサバイバルゲームみたいな厳しい状況に置かれていました。結局、ずっとはここにいられないということが分かっていたのです。だから、次の道を考えなくてはならなかったのです。まだ中途採用で取ってもらえるような時代でもなかったので、もうフリーでやっていくしかないと思って、東京でフリーの人を起用する様々な番組のオーディションを受けるようになったのです。その中で合格をいただいたのが、NHKで新しく始まるニュース番組のスポーツコーナーを担当するキャスターだったのです。矢島 私はそこからのイメージがすごく焼き付いています。ですから、全く自ら進んで独立したわけではなくて、福島氏 安定した職場だったら、とてもいい会社だったので、ずっと名古屋にいたと思います。そういう外的環境というのもある中で、今の福島敦矢島 子さんが出来上がったのですね。そういう経験から苦しい時、ピンチの時こそ前向き福島氏 な気持ちを忘れないというか、逆にそれがまた次のチャンスにつながっていくと考えるようになりました。実際、ずっとCBCで安定して仕事をできていたら、その後のいろんな経験をさせていただいたような仕事と出会うことも多分、なかったと思います。矢島 ままずっと役員として情報システム担当をやっていくのだろうなと思い込んでいた時に、パナソニックが三洋電機を統合する話が私に来たのです。統合では、人員整理や事業再編など苦しい決断を強いられましたし、精神的にもかなり落ち込みました。今思いますと、三洋電機株式会社に行った4年間がなかったら多分今の自分はないと思います。あの経験があったのでパナソニックには戻らずにヤンマーからお声掛けいただいて、また新しい仕事をさせていただきましたし、そういうことがあったゆえに、このような団体を作ろうという気にもなりました。福島氏 まいますね。だからCBCにいるときも、同じ試験を受けて入っているのに、どうして男性は終身雇用で、私たち女性は1年しか身分が保証されないのかって、どう考えてもおかしいじゃないのと思いました。ましてや教育の現場では、ずっと男女平等と教えられて育ってきて、社会に出ると全く違っていて、あの頃はかなり後ろ向きになって女性であることを嘆いていました。しかし今振り返ってみると、そうだったからこそ、違うチャンスをいただいて新しいことに挑戦ができたと思っています。これからも多分、苦しいことはあると思いますけど、そういう時ほど、ピンチの時こそチャンス、ここを乗り越えればきっとまた新しいチャンスがあると思って対応するようにしたいと自分に課しています。それが、あの時の教訓として残っていますね。【アドバイザー活動】矢島 モデレーターやインタビューされたり、あれだけの広い知識はどうやって勉強されているのですか。福島氏 関しては、最初の接点が「サンデー毎日」という週刊誌で、毎週、経営者の方と対談しませんかというお話をいただいたことでした。最初は、特に経済とか経営に接点があったわけで私もパナソニック株式会社(以下、パナソニック)で、その本当にピンチの時は、どんどん後ろ向きになってしこれまで、多くの経営者の方に幅広い知識の中で対談、私の場合はやはり実践というか、特に経済・経営に5Special Dialogue

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