日本企業のERP導入─課題克服と効果最大化への道

CIO Lounge正会員・矢澤 篤志

 「2025年の崖」という言葉は、2018年に経済産業省が発表した「DXレポート ~ITシステム『2025年の崖』克服とDXの本格的な展開~」で提唱され、日本企業が抱えるレガシーシステムの課題とIT人材不足の深刻さを浮き彫りにしました。2025年を迎えた今、まさに多くの企業がこの崖からの脱却を模索しています。

 式年遷宮しきねんせんぐうに例えられるITのモダナイゼーションは、企業にとっておおむね20年に一度の重要な転換期であり、経営層、現場、IT部門が一体となって取り組むべきものです。残念ながら、多くの企業では過去に同様の経験を持つ方々がそれぞれの現場を離れ、前回の苦労から得たノウハウが伝わらないまま、同じ苦労を繰り返しているように思えます。

 筆者は、20年前にカシオ計算機において、グローバル規模でのERP展開を通じて、この一大行事を最前線で経験しました。その過程で、日本企業がグローバルERP導入において直面するさまざまな課題を肌で感じ、その解決に向けた取り組みを推進しました。本稿ではその経験に基づき、日本企業がグローバル標準と現場ニーズを両立させながらERP導入を成功させるための道筋を考察します。

日本企業ならではの課題とは何か?

 カシオ計算機は基幹システムを刷新するため、1997年にグローバル規模でのERP導入を決定し、翌年からプロジェクトを開始しました。選んだのは「JD Edwards」(現在はオラクルが提供)というERP製品です。当初は国内外の販売拠点と生産拠点から1カ所ずつモデル拠点を選定し、導入を進めました。それで得たノウハウや知見をもとにグローバル展開する計画でした。

 しかし、プロジェクトは期間と費用の両面で当初の想定を大きく超過する結果となりました。背景には、3つの要因が複合的に影響していました。

 具体的には、①日本と海外における経営管理手法の差異、②日本特有の商習慣や業務プロセス、③ERPシステムの標準機能と日本独自の業務プロセスとの間に存在するギャップです。これらが複雑に絡み合い、プロジェクトの遅延とコスト増加を招いたのです。

 さて、製造業におけるERP導入のメリットを改めて整理すると以下の点が挙げられます。

モノの動きと会計のリアルタイム連携による効果
●実績データの即日把握
●数値の根拠が明確で事実関係の把握が容易
●標準原価を尺度として各種活動成果を測定することで、業績に直結した管理が可能

グローバル標準システム展開による効果
●多言語対応、同一マスター、同一プロセスによるグローバル展開(本社販売・生産戦略との同期)
●各国システムの運用・保守の効率化、監視・バックアップ・セキュリティ対策の強化
●マスターデータ構造の簡素化による全社的なデータ活用の強化

 つまりERP導入にはリアルタイムな情報連携や、グローバル標準化といった明確なメリットがあります。欧米企業などはこれをグローバルな事業展開と効率化を実現する前提と捉え、トップダウンで導入を推進する傾向が強いと考えられます。それに対し日本企業では、情報連携や標準化の重要性は理解されつつも、上記①~③の要因があるため、現場レベルでは長年培われた既存業務の効率化が優先されがちです。

 その結果、ERPの標準機能に合わない既存の業務プロセスを維持しようとする動きや、アドオン開発による個別対応の要求が強くなり、グローバル全体でのシステム統一や標準化を阻害する要因となるのです。カシオ計算機もまた、このような多くの日本企業が陥る状況に直面しました。当然、グローバル規模の導入に進むことはできず、システムの構造や導入方法を根本的に見直す必要に迫られました。

 では、この問題をどのように解決していったのか。以下で経験に基づく考察と提言を紹介します。

グローバル標準と現場ニーズを両立させる道筋

 前項で詳述したERP導入における課題、すなわちグローバル標準化の推進と現場の効率化要求との間で生じるギャップを埋め、導入プロジェクトを成功に導くためには、明確なシステム化方針と、それに沿った具体的な施策が不可欠となります。カシオ計算機では、このギャップを埋めるための重要な一歩として次のシステム化方針を徹底しました。

グローバルに分散されたPSI(発注、売上、在庫)情報および会計情報を一元的に把握するため、必要なコード体系(Item Code、Business Unit、勘定科目など)の統一化を図る

 これはグローバル全体でのデータ構造の統一化を優先することで、導入後のデータマネジメント高度化、多様な視点からのタイムリーな実績評価、サプライチェーン全体のコントロール、M&Aにおける経営効率向上といった、重要な経営課題の解決に繋がるものです。データマネジメント高度化は、AI活用効果の最大化に欠かせませんから、これは現代でも通用する本質的な方針だと考えます。

 この方針に基づいて実装を進める上でカシオ計算機が直面した大きな課題は、どこまでをERPの標準機能に委ね、委ねない領域をいかなる手段で構築していくのかというシステム構成の最適化でした。

 加えて、その適用範囲内外を含めた全体の業務プロセスを現場が明確に理解し、スムーズに新しいプロセスに移行できるような将来像(To-Beモデル)をいかに示すかも重要な課題でした。

 前者に関して、ERPがカバーする業務領域とカシオ計算機の業務の間にあるギャップを詳細に分析した結果、特に以下の2つの側面において大きな課題が明確になりました。1つはサプライチェーンにおける専門機能の不足、および日本の商習慣への適合性の低さ。2つ目は現場のオペレーションレベルにおいてERPの標準機能が必ずしも使いやすいとは言えないことでした。

 専門機能の不足とは、具体的には生産・販売における倉庫管理システム(WMS)、国際物流におけるフォワーディング機能、製造実行システム(MES)、調達におけるソーシングや購買管理機能などです。これらの機能は個々の業務効率化はもとより、サプライチェーン全体の最適化を図る上で不可欠であるにもかかわらず、ERPパッケージだけでは全てを網羅できていない場合が見受けられました。

 日本の商習慣に関しては、依然として利用されていた手形や小切手といった決済手段や複雑な取引条件、締日の設定、組織文化に根付いた稟議制度や取引承認プロセスなどが挙げられます。加えて、顧客からの多様な要求に応じた特殊な納入形態や伝票方式など、外部環境に強く依存し、容易には標準化できない業務も数多く存在しました。

 グローバル標準化を基本としつつ、これらの現状や課題に適切に対応するため、カシオ計算機では以下のようなシステム構成と導入アプローチを採用しました。

●サプライチェーンにおける専門領域の不足への対応
 資材調達、倉庫管理(WMS)、フォワーディング機能、MRPを含む需給調整といった専門領域や機能は、ERPの標準機能に過度に依存せず、必要に応じて既存システムを再活用したり、外部の適切なパッケージシステムを連携する。

●日本の商習慣および使い勝手への要求対応
 ERPの標準機能(受発注、在庫、会計)を活用しつつも、日本特有の要件であるオーダーエントリーや多階層承認、特殊な帳票作成などについては、ERPの外部で専用のツールやシステムを組み合わせることで対応する。

 このアプローチにより、グローバル標準化と国内特有のニーズへの柔軟な対応を両立させ、全体としてのシステム導入効果の最大化を目指しました。

 適用範囲内外を含めた全体の業務プロセスを現場が明確に理解し、スムーズに移行できるような将来像(To-Beモデル)をいかに示すかという点については、上記の方針に基づきセットアップされたERP画面などを活用しながら、業務の一連の流れを説明できるTo-Beのフロー図をシステム部門が事前に作成しました。

 その上で本来のERP導入の目的、すなわちグローバルレベルでの業務効率化と標準化、および経営判断の迅速化といった目標を常に念頭に置きながら、業務プロセスの変更に関する理解促進と具体的な新しい業務手順の構築を、現場と協力して進めていきました。こうした試行錯誤と工夫を経て、ERP導入を完遂することができた次第です。

経営層の深い理解とコミットメントが成否を決める

  ERP導入や基幹システム刷新の成否を分けるのは、最初の企画段階における経営層の深い理解とコミットメントです。そこで最後に、経営層の皆様に特にご理解いただきたい3つのポイントを挙げます。

全体最適の視点─グローバル競争の基盤

 欧米諸国はもとより新興国においても、事業のグローバル展開と経営効率化の常道としてERP導入が進んでいます。グローバル市場での成長を志向するのであれば、短期的な困難を乗り越え、ERP導入という戦略的決断を下すべきと考えます。

トップダウンの推進─変革実現の要

 ERP導入は、単なる情報システムの刷新ではありません。企業の業務プロセス、組織構造に深く関わる変革です。CEOやCFOをはじめとする経営層の揺るぎないコミットメントと変革を主導するオーナーシップこそが、プロジェクト成功の不可欠な原動力となります。

長期視点の投資─長期的な成長とマネジメントの高度化

 ERP導入は、目先のコスト削減や効率化ではなく、将来のグローバル市場適応、データドリブン経営実現、そしてグローバル事業リスク低減と安定性・持続性向上のための戦略的投資です。短期視点ではなく、中長期の成長戦略に基づく経営判断が求められます。

 多くの日本企業が、初期の戦略策定段階における認識のずれによって、IT部門と現場部門双方で本来する必要のない苦労を強いられています。CIO Loungeの活動を通じて、基幹システム刷新とDX推進が日本企業の持続的な成長に貢献する正しい方向へと進むよう、微力ながら支援していきたいと考えています。

筆者プロフィール

矢澤 篤志(やざわ あつし)

1981年、カシオ計算機入社。業務部門にてERP導入プロジェクトのPMを経験後、最高情報責任者(CIO)、生産本部長などを歴任。2025年1月退職後、主にCIO Lounge、日本データマネジメント・コンソーシアム(JDMC)などのNPO法人を通じ製造業の発展支援に注力。ERPのグローバル導入、サプライチェーン改革、エンジニアリングチェーン改革など業務改革とデジタル化のプロジェクトを数多く牽引。趣味はゴルフ、マラソン、旅行など。