「企業の記憶」をデジタル変革の障壁ではなく推進力にしよう!
私は主に事業会社で、業務変革やデジタル変革に携わってきました。コンサルティング会社に在籍していた頃や、現在勤務する事業会社でも、さまざまな変革の取り組みに関わっています。
そうした経験を振り返って改めて強く感じるのは、変革は一時的な取り組みでは十分ではなく、恒久的に定着し、繰り返されていかなければ本当の意味を持たないということです。本稿では、この思いの背景や私自身が意識してきた考え方を、製造業を例にして整理したいと思います。
変革を前に立ちはだかる「企業の記憶」
私が大事にしてきたデジタル変革のゴールは「ビジネスの現場で変革が自然に生まれ、それが繰り返されている状態」です。誰かが旗を振り続けなければ動かないのではなく、現場の中から課題意識や改善の工夫が生まれ、次の変化につながっていく。そのような状態こそが目指すべき姿であると考えています。別の表現をすると「企業に新しい何かを付け足すこと」ではなく、「企業が生命体として新陳代謝を続けられる状態をつくること」がデジタル変革です。
しかし、それは簡単なことではありません。今までに関わった取り組みの中にも、一過性の対処療法に近いものになってしまったケースが少なからずありました。また短期的には成果が見えて注目も集まりますが、時間とともに熱量が下がり、やがて日常業務に埋もれてしまうような場面を何度も目にしてきました。
なぜ、そういった状況になるのでしょうか。日本の多くの製造業には、これまでに築き上げてきた優れたビジネスモデルがあります。それを含め、現場で突き詰めたり改善を積み重ねたりしてきた姿勢、つまり企業文化は大きな強みだと思います。私はそれを「企業の記憶」だと捉えています。これまで何を大切にし、どのようなやり方で成功してきたのか──。この積み重ねは、企業が生き延びてきた証でもあります。
しかしながら、「企業の記憶」はしばしば変革の障壁になったり、ときにセクショナリズムとして表出することがあります。製品の上市を判断する場面を想定すると、営業部門は市場投入のスピードを、生産部門は安定稼働を、品質保証部門はリスクの最小化を、それぞれ最優先に考えるでしょう。どれも各業務部門が長年の経験の中で磨き上げてきた合理的なもので、何も間違っていません。それがゆえに判断が進まない状況が生まれてしまうのです。
部門を超えた業務プロセス変革のような取り組みでも、同様のことが生じます。全体最適を目指したはずが、業務部門間の壁を越えられず、最終的には各部門内の業務効率化に収束してしまう。短期的な成果は創出できたものの、企業としての変化は実感できない――。そんなもどかしさとともに、事業変革として始まった取り組みが、結果的には対処療法にとどまってしまった場面を、私は何度も経験してきました。
「企業の記憶」を強みに変える3つのアプローチ
こうした経験を踏まえ、自分自身が「企業の記憶」を変革の障壁ではなく強みにしていくために、意識して取り組んできたことが3つあります。
1つは何らかの取り組みを始める際、営業や生産、品質保証、サプライチェーンといった業務領域を横断して、それぞれの担当部門が考えている中期的な課題や目標を持ち寄り、共有する場を設けることです。「何を良くしようとしているのか」を可視化するだけでも、同じデータの見え方や議論の前提が少しずつ揃い始め、業務をまたいだ改善の芽が、現場の中から生まれてくるようになると感じられます。
第2が具体的な取り組みの進め方。例えば既存のビジネスプロセスを見直したり、新しいツールやAIを現場で実際に試していく時、「与えられたもの」として取り組みを進めるのではなく、現場の関係者とともに考え、試しながら進めていくことです。
取り組みが自分事になることで、日々の仕事の進め方に何らかの変化がもたらされます。業務のどこに無理や無駄があるのか、新しい仕組みがどのように役立ちそうかを共有し、小さく使ってみる。その経験が、現場の「企業の記憶」に新しい行動様式として少しずつ蓄積されていくと考えています。
こうした取り組みと並行して、デジタルリテラシーの向上も欠かせません。これが3つ目です。新しい仕組みやツールを導入しても、それを使いこなすための理解や経験がなければ、変革は定着しません。
専門的な知識を一度に身につけることよりも、「データをもとに考える」「試行錯誤しながら改善する」といった姿勢を経験することが、結果として変革を支える土台になると感じています。
したがって、教育や研修を一度のイベントとして終わらせるのではなく、実際の業務に則した学びの機会と、学んだことの活用を結びつけながら、継続的に実施する必要があります。新しい取り組みと学びの往復を通じて、企業としての新陳代謝が少しずつ回り始めていきます。
デジタル変革は、完了を宣言できるプロジェクトではありません。企業が変化の激しい環境の中で生き続けるための、継続的な取り組みです。その取り組みが一時的な成果に留まる対処療法か、それとも企業の内側から変化が生まれ続ける新陳代謝として根付くのか。その違いは既存の企業文化や企業の記憶との向き合い方から生じてくると、私は確信しています。
生命は新陳代謝が止まれば維持できません。それと同じように、企業も変わり続ける力を失ってしまうと、存在することが難しくなります。だからこそ、目先の成果だけでなく、変革が自然に生まれ続ける状態を目指すことが大切だと考えます。
筆者プロフィール

押手 孝太(おして こうた)
金融IT企業やフィンテック企業にて、オンライン決済サービスの構築、業務プロセス変革、デジタル変革、サイバーセキュリティ対策の推進などに従事。アビームコンサルティングで業務プロセス改革やサイバーセキュリティアセスメントに携わった後、荏原製作所にて業務プロセス革新チームに参画。2020年からはポリプラスチックスにてデジタル変革推進およびICT領域の責任者を務める。2026年4月、ダイセルによる会社統合に伴い、現在はダイセル デジタル戦略推進センター 副センター長。趣味はバイクのレストアやキャンプツール制作などのモノづくり。
