金融ITに見る変化対応と主体性の大切さ

CIO Lounge理事・松井 哲二

筆者は1970年代から最近まで、一貫して金融業の情報システムに携わってきました。歴史と言うほどではありませんが、そんな仕事の経緯を振り返って、改めて皆さんにお伝えしたいことがあります。それは変化への対応の重要性と、一方で変化に流されない主体性の大切さです。どういうことか、少しお付き合い下さい。

1978年に筆者は京都信用金庫に入庫しました(信金では入社ではなく、入庫と言います)。当時は、勘定系システムを米バロース(Burroughs、現Unisys)のメインフレームから日立製作所のそれへと移行するプロジェクトの真っ最中。担当する先輩職員の方々は毎日が徹夜状態だったと記憶しています。

金融自由化の荒波に対応してきた

その後も金融機関の情報システムは、金融自由化に伴うさまざまな変化の波に洗われてきました。勘定系の移行から休む間もない、1983年の夏のことです。システム部でトップクラスの先輩システムエンジニア(SE)2名が別室にこもり、「BACK」と呼ぶプロジェクトの開発を始めたのです。1970年代に米国で広がったMMF(マネーマーケットファンド)を取り扱うための取り組みです。

開始から1年も経たない1984年4月には、証券会社と提携して「京信資金総合口座CMA」の取り扱いを開始しました。当時は慎重さよりもスピードが重視されたのでしょう。京都信用金庫の革新が成しえた、金融自由化が本格的に幕を開ける前夜の出来事でした。

その後に到来したのが預金金利の自由化です。日銀の規制金利に横並びの“護送船団方式”とも呼ばれた状態から、各金融機関が自由に金利を設定できる時代への変化でした。1985年にまず10億円以上の大口定期の金利が自由化され、以降は国債定期、NCD(譲渡性預金)、営業店の小口ディーリング、スイスフラン口座、スーパーMMC(市場金利連動型定期貯金)、外貨定期預金、スウィング(預金振替)口座などの開発が次々と続きます。

1992年には規制金利が全廃され、自由金利の時代を迎えました。筆者は、このような金利自由化の潮流の中で、当初から金利テーブルの設計に携わりました。科目・商品・預入日・預入期間・金額・金利をテーブル化して、金利を自由に設定できる仕掛けです。毎週末に翌週の金利を設定できるように運用を設計しました。

こうした開発を通じて、金融機関ではITが事業戦略の柱であることや金融機関が変化に対応する状況を、身をもって体験しました。仕事はハードでしたが、信金では経営とシステム部門長、システム部署の距離が近く、情報システムを担当する醍醐味や面白さを日々、感じることができた時代でした。

──こう記すと、すべてのシステム企画や開発が上手くいったようですが、残念ながらそうではありません。今も鮮明に覚えているのは、国債定期の開発に携わった関係で、1986年に担当した証券システム構築です。それは筆者の中で最低最悪のプロジェクトでした。

当時のシステムメーカーには証券システムの知識がなく、やむなく他ベンダーからパッケージを購入しました。パッケージのままでは動かないので、証券会社のSEに依頼。詳細は避けますが、ツギハギだらけの体制なので開発は難航し、最終的には失敗しました。あえてよかったことを探すと、外注によるシステム開発の品質管理と運用管理の難しさを理解したこと。主体性のある内製化の重要性を再認識しました。

こうした経験から、システム部長をしていた時、勘定系システムについてはシステム部の職員が維持・保守するようにしていました。約50名のシステムアナリスト(SA)とSEが1000本以上あるオンラインプログラムを隅々まで理解したうえで、システム関連会社の京信システムサービスの社員約30名がプログラミングを担う体制です。幸い深刻なトラブルはなく、自営・自前の大切さを感じる日々でした。

金融システムの共同化から経営の統廃合へ

しかし金融機関を取り巻く事業環境は年々厳しさを増し、2012年頃には開発要員を含めたITコストの問題やバックアップセンターに関わる課題が浮上。単独自営で勘定系システムを継続するのは困難な状況が明らかになっていました。パッケージの採用や共同化への移行を検討し、京都信用金庫はパッケージの採用を決定しました。残念な面もなくはなかったのですが、むしろ主体的に踏み切りました。

なにしろ1970年代には全国に約500あった信金が、今では約250に半減しています。このことが示すとおり、どの信金にとっても単独でシステムを維持運用するのは困難だったのです。そのため1980年に全国の信用金庫における普通預金オンライン提携(第1次、158信金)の共同化がスタート。2013年には一般社団法人しんきん共同センターが設立され、すでに全信金の90%以上の235信金が加盟しています。ITコストの効率性はもちろん、共同センターの利用により事務が統一され、ひいては信金の統廃合が容易になるメリットもあります。

一方、2021年4月には地銀トップの横浜銀行が勘定系システムをオープンLinux基盤で動くNTTデータのパッケージ「BeSTA」に移行し、2024年1月から全5地銀で共同利用することを発表しました。その背景は、金融庁が公表しているITコストの効率性を測る指標「システム経費/預金量」を見ると明らかです。地銀は0.17%、信金は0.11%と、地銀が信金に劣っているのです。

今回の共同利用の発表が、それでとどまることはないでしょう。信金が半減したように、地銀・第二地銀の統廃合につながる道筋へのスタートだと思われます。筆者が入庫して間もない40年前、京都府内には地銀2行と信金14庫の地域金融機関がありましたが、今は地銀1行と信金3庫です。この状況を全国の地域金融機関に置き換えると、地銀が50行、信金が150庫程度になります。

ところが現状は、地銀(第二地銀を含む)が約100行、信金は約250庫あります。統廃合はまだ道半ばなのです。この厳しい状況に際して地域金融機関の皆様にアドバイスしたいのは、受け身になってはいけないということです。

従来、地銀の経営統合やシステム統合は規模の大きい銀行に合わせることが多かったのですが、これからは規模ではなく地域性などお客様に寄り添う戦略や姿勢が重視されるでしょう。受け身の、主体性に欠ける統廃合は結局、お客様の支持を得られず、未来が開けないと考えます。

筆者プロフィール

松井 哲二(まつい てつじ)

1978年に京都信用金庫に入庫し、システム開発に34年3カ月従事。2012年6月にシステム子会社である京信システムサービスへ転籍し、社長に就任。2021年6月に退任してCIO Loungeに加わる。趣味は、旅行とお酒。最近はスポーツジムで有酸素運動をしている。